病と信仰について

湿気の逃しどころに困っています。烏丸です。
一週間ほど病に臥せっておりましたがようやく起き出してキーボードを打てる程度には回復しました。
連休を満喫する診療所には近いうちに何らかの報復措置を取りたい次第です。
 
闘病記をまとめようと思ったのですが何しろ28日の昼から1日の早朝まで記憶が飛んだり、さらにそこから今朝までの記憶も曖昧だったりと思い出すだけでまた熱がぶり返しそうなのでご勘弁頂く事にします。
ただ高熱の苦しみの中でT-72神に「大いなる125mmの神よ、その筒を以て我が病魔を討ち滅ぼされよ。我はデサントの末裔、装填装置の供物、たとえ装甲破れ弾薬に火の至りて砲塔と共に天に召されるとも我は恐れず、オブイェークト」と祈りを捧げていたのは覚えています。
勿論何の役にも立たなかったわけですけども。あのビックリ箱マジ使えねえ。
そもそも祈りだのそういうものに頼るのは共産趣味の致す所ではないのです。休養と薬で大抵の病気というのはなんとかなるものです。
常備薬の備蓄も無かった去年までに比べれば随分と恵まれた環境であります。
残す問題は後遺症の味覚障害のみなのですが、これが深刻。
基本的に飯食ってれば安泰というメンタルの人間なので「何を食べても不味い」というのは快方に向かう体調が逆行しかねないのです。
少なくともここまで物の味がわからなくなる経験は一人暮らしを始めてからは例を見ず、まだ油断のならない状況かもしれません。
 
ともあれこれだけ文章がスラスラ出てきているのは紛れも無い回復の証左。
暫しの休息を頂いたと思ってもう少し寝てきます。